大病後、50歳からでも人生愉しく生きる!

目次

  • 自己紹介
  • エピソード1(ピラティス中に倒れたバンビ)
  • エピソード2(退院後のピラティス、片麻痺でも参加してみた)
  • 後遺症残っていても、自分の五感信じよう!

初めまして、バンビと申します。

29歳で結婚。

34歳の時長女を出産。

42歳まで建築士の資格持って、まちづくりコンサルの技術職として、無我夢中で、わーママ継続していた。けれど、2011.3の東北の大震災を機に、家族の中で問題があり、約20年在籍していたフルタイム正社員をを辞めた。

子供の中学受験も考えていたので、いっとき専業主婦を味わっていた・・・・(*塾弁:じゅくに行った先で食べるお弁当。を作ったり。最寄り駅に、21時過ぎに迎えに行ったり。)

娘の中学受験時期前後に、旦那さんの単身赴任「お一人で、行ってらっしゃーい(悪いけど)!」その後、ICと建築士の資格持って、
とあるハウスメーカーのアテンドの仕事をゆるーくやってました。(年に3,4回の頻度)



2020年のこと。



当時、旦那さんは名古屋に単身赴任中



[ 6年目 ]で、娘と二人暮らし。この生活リズムが、心地よく、



気ままな感じで傍目シングルマザーを満喫していた矢先、



夫が突然帰ってくることになった [ 雷鳴音 ]..!

義理の父の手術や、義母の認知症などが重なり、そんな事で旦那さんが帰ってくる。



(旦那さんの本音→6年間、赴任したから、



そろそろ関東に戻りたかったんでしょうね….)


バンビは、子育てがまもなく



一段落するのを見据え、



再び社会復帰すべく、職探しに、面接に、



駆け回っていた。



(正直に告白すると…仕事が家事だけ、マジ?



旦那と二人きりの生活なんて考えられない!)


旦那さんの単身赴任先のアパートの


清掃など手伝い、名古屋日帰り( www )。



いつも以上に謎に、忙しい師走を過ごしていた。

やたら、落ち着かない感じで、



忙しく動いていたバンビだった。



本当に正直、しんどかった….

ピラティス中に倒れたバンビ

2020.12.12の忙しく日帰り名古屋を挙行した週末。



なぜ、バンビはそんなに生き急いでいたのか?


その日に、とうとう旦那さんが帰ってくる。(ドキドキ・・・・)

日頃の忙しさから、エスケイプ。

私は私のリラックスのために



(←ここ重要。



もっと自分のための時間。



スペース確保しておけば・・・



あんなことにならなかった。と強く感じる。)



当時、地元のスポーツセンターに通っていた。




なんだか、自宅なのに、ゆっくりできないのって、おかしくない…?

早くその違和感に気がつけばよかった….



この違和感、「イヤな感じ」に正直に自分の感覚や、第6感を大事に



扱わないといけなかった。



当時のバンビは、こんな大事なことをスルーしてきていて、



「自分不感症」になっていた。



それなのに……

ワンコイン DE ピラティス。(2020年当時)



とっても、コスパの良い「最強!ピラティス!」とか言って、



「自分の本当の違和感」を蔑ろにして、置き去りにしていた…



つまづきや転倒予防に最適!

ピラティスに気持ち良く参加していた私。


いよいよ、最後のストレッチになった。



インストラクターの声



「ハイっ。両手を組んで上に伸びて……!はい、脱力して下さい…….」


次の瞬間。



私の視線が前面にいる、先生の姿ではなく、床の上に。



「あれっ……?」今までにない、最上級の脱力感!(やったね!)

「最高…?ん…起き上がれ…ません…」




「大丈夫…ですか…?(遠くに、先生の声)」



「…いや…立てません…(徐々に声も出なくなって、意識が朦朧としてきた…)」




「救急車呼びます!」



「(力なく)お…ね…が・い・し・ま・す…」(本当にやられてしまった…)

間も無く救急車の音がして、バタバタっと救急隊の人がフロアに入ってきた。



手早く、私をスリング状の袋に入れて1階に止めてあった救急車の中に運んだ。


手早い!



手早い!


バイタル測定やら、血圧やら…を測定する。


その日は、娘と年末のお正月飾りを買う約束。



近くのスーパーで待ち合わせしていた。

「◯◯スーパーの1Fに黄色のフーディーを着た女の子が娘…。 ピックアップを…」


やっとの思いで救急隊の方に伝えた。



「…声がかすれてくる。…ッ…呂律が回らない…」

「これって、…嫌だな頭…にきちゃったんだ……けど、今ここで、私…




ここで、死ぬわけ行かない…!」


「お願い、神様…私を、生きさせて!



(強く強く願った… 未だかつてないくらいに」


だけど、徐々に意識が遠のいていく……

「ガタン!」という音で、車は止まり。



娘も同乗したのか、サイレンと共に私が指定した、地域でも一番大きな病院に搬送された。


なぜ、このタイミング…?


どうして、私なの…?


一体、私、どうなっちゃうのかな…?

……
……

病院に着くと、入れ替わり立ち替わり救急救命士のような方が見えて、「お名前と、



「生年月日教えてください。」

何度、聞かれたことか。

……

……突然、長い棒状のものが私の鼻腔を突く。「あ、痛いっ!」ん…PCR検査もされ、




いつの間にか着替えもされ、手から指輪や時計が次々と外されていった。



私は、担架の様なもので集中治療室へ運ばれた。

そばには、バイタルが一目でわかる機械や点滴の様な管やら・・・



さまざまな機械が取り付けられている様だった。


ぐるぐる、色々な部屋を通り抜け、



私は、いつの間に眠っていた。



と、病室の狭いベッドの上に横たわっていた。


ふっと、見渡すと、奇妙な音のする機械音や、物々しい感じの点滴の装置が見えた。



「ああ、よくドラマや映画で見る様な・・・」私、入院したんだ。

あれ…そういえば、うちの娘はどこにいっちゃたんだろう。


入院して、1週間くらいの記憶は曖昧。



寝たままで、起き上がることも、寝返りもできない。

そのため、トイレにも必ず「ナースコール」という掟が…

52歳だけど、その、なんというか…「シモのお世話…」になるのは情けない。


本当に歩けやしないし…



入院して、初めて乗った車椅子。



「車椅子」というと…



数年前に、娘と一緒に、障害者向けのスポーツをサポートする



ボランティア活動の講習会で、階段の昇降訓練した以来だった…



まさか、本当に自分が乗ることになるなど、思ってもいなかった…

自分が、サポーター側じゃなくて、



「障害者側」に?



その時は、そんな意識などなく、



【動けない左半身】には全く意識がいかなくて。


今まで通りの歩けて、普通に生活している頃の自分が大半だったから



バンビの頭の中の自分のイメージは、動かない自分=そんなの自分じゃないでしょ




「半身麻痺なんだよ、自分!」と認識できていなかった。



目の前に横たわっている自分は、事実、「半身麻痺」でも、


思考したり、発語したり、おしゃべりができていたから。


とにかく、トイレのためにナースコールすると、



あれれ……?



看護師は看護師でも、…男性です!



「それって?」一体どういう事?




何食わぬ顔で、私は、「お願いしまーす!」


(…心の中は、複雑怪奇。”…It’s a shame!”(……BGMに洋楽が流れる)

参ったなあ…。




この気持ちのやり場、どうしろ…っていうの?




キック・ボクシング嗜んだ女子なら、「BOM!」って、



一発お見舞いしたいところかな…?



落ち着かない気持ちと動かない身体へのジレンマ…

その後、バンビが、リハビリ棟に移動した時に


耳にした、70代と思しき女性の


「いくらお婆さんだからって、毎回毎回、孫くらいの(20代くらい)男の子、


3,4人に囲まれてのおトイレは、勘弁してほしい…」と語ってたことを思い出した。



……私、50そこそこなんですけど。



まあ、女性はいくつになっても、「恥じらい」のマインド持っている…



って、思い出すのも…嫌になる。


 
この「イヤな感じ…」に蓋をするとか、


「不愉快な感覚をスルーする」



というのがこれまた、やってはいけない事だ。


「バンビ…、本当にイヤだったよね。



仲間とその気持ちシェアできて助かったね。」って



自分で自分を癒してあげた。(このブログを書きながら)



だけど、病気になって、しみじみ感じたのは、



生命活動維持するには、兎にも角にも、



たくさんの医療従事者の方に、お世話になったという事実だった。



頭はやられていても、そのことは2年経った今でも決して忘れはしない。



どれだけ、感謝しても仕切れない。



色々な感情が湧き起こり、葛藤していたことも全部含めて。



貴重な体験だった。



その後のバンビの生き方変わる体験だった。



だから、今この状態のバンビができる、最大限のパフォーマンスは、



今まで全くやってこなかったSNSとやらの一部を使うことに試みて、



「半身麻痺のバンビ」ですら、楽しんでトライしているよ!


おかしな感覚だけど、病気になる以前よりも、



「今、イキイキしてるんじゃない?」



とお世話になっている、実家の母にしみじみ言われた。



「…そういえば、結婚して間も無く(20数年前)、父にこんなこと言われたよ。



『バンビ、お前は今、幸せか?』って、妙な質問するなって。」



今、質問されたら即答できる、自信もって。



“I’m very very Happy! “「こんな楽しくてしょーもない。日々生きていてよかったって実感。


自分の人生創っているなーという感謝の日々しかない。」


だから、何かのご縁でブログ見にきてくれている「貴方」にも



「幸せを自ら創る人生、きっとできる!」



ということを伝えたいんです。







退院後のピラティス、片麻痺でも参加してみた。

2020.12に倒れた私は、約半年に渡る、・・・・思い出すのも嫌になる様な、


辛くて、厳くて、涙、涙の三拍子揃ったリハビリの日々に・・・



という期待?を裏切るような



別シナリオで展開するリハビリ三昧だった!



何故そのようなストーリーに展開したのか?




それは…




バンビ自ら、「半身麻痺」で動きがゾンビにしか見えない姿…



リハビリ棟に移った、当初の「鏡を見て!」と言う



PT(理学療法士)の言葉がどんなに辛かったか!

ロック大好き洋楽少女だった私は、



…例えば、『70代になってもスリム体型を維持し、ステージを右往左往




に、軽やかに動くミック・ジャガーや、ジェフ・ベック』



『日本の素晴らしいギターリストのCHAR,



らの往年のロックスター』に



多大なリスペクトを持っているものとして、


年齢重ねても、「カッコよく、綺麗でいたい」願望は、



人知れずに持っていた。




なのに、「このざまは一体、何?!」



…自分が許せなかった…。鏡なんか見られやしない。




「…何故、ここに鏡があるの?」



私の傍には、見慣れないスケール感と存在感ある男性PTが。



彼は、思いのほか、繊細で、注意深く、

患者の私が倒れないようにサポートしてくれていた。



見たくない鏡に映るバンビを、ガン見しながら直進する。



私は、そんな「人生最低に酷すぎる、美しくない姿」を、



自分の息子と言ってもおかしくない



男性PTに観察されるのが、本当にたまらなかった……



だけど、そんなリハビリだけでなく、



日替わり弁当のように



Aコース、Bコース、Cコース等など



1日として前の日と全く同じリハビリをすることはなかった。



だから、バンビは「ここのリハビリは、



予測不能で、ディズニーランドより以上の



アトラクションいっぱいの遊園地にいるような



感覚になったのだ。



魅力的なリハビリスタッフや、入院患者仲間、



看護師さんら、よりどりみどりの



登場人物と共に、「夢のリハビリテーション!」



という映画を撮っていたような感覚だ。



そんなこんなで、退院後のピラティスのお話は、



また次回に続きます!



ここまで長ーいブログ読んでくださってありがとうございます。




【リハビリするマインド】は1人1人の気持ちの持ち方次第です!



半身麻痺だって、やりたい事やっていきましょうよ!

バンビは、この身体になって、新しい私だけの個性を



再び神様から授けられた、という



感覚と感謝でいっぱいです!



変な話、いわゆる「わーママ健常者」でいた時よりも、バンビは、



一層人生が濃密で、ワクワクドキドキ。



明日はどんな新たな体験ができるのか



楽しみしかないです!



で、どうして、50代の私がこんなマインドに



なっていったのか?追ってお話していきますね。


是非是非、ご感想頂けたら嬉しいです!



コメント

タイトルとURLをコピーしました